最近私が使ってみたマッチングアプリ「R50Time」を利用して女性と出会った男性の体験談をシェアします。
目次
インタビューさせていただいた男性のプロフィール
名前(仮名): 健一(けんいち)
年齢: 63歳
居住地: 東京都(郊外)
職業: 元メーカー勤務(現在は週数回、嘱託として継続勤務中)
家族構成: 妻を数年前に病気で亡くし、現在は一人暮らし。成人した子どもが一人(独立済み)。
趣味: 写真撮影(主に風景・草花)、散歩、読書(歴史書・時代小説)、家庭菜園を始めたばかり
性格: 誠実で聞き上手。少し不器用だが穏やかで温厚。人の話をじっくり聞くタイプ。
ライフスタイル: 平日はゆっくり仕事と家事。休日はカメラを持って近くの公園へ。夜はNHKドキュメンタリーを観ながら晩酌するのがささやかな楽しみ。
恋愛に対するスタンス: 恋愛は久しぶりだが、人生の後半を穏やかに共に過ごせる相手と出会いたい。再婚にも前向き。
プロフィール文(R50Time上)
はじめまして、プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
東京郊外で一人暮らしをしている63歳の健一と申します。
数年前に妻を病気で亡くし、子どもはすでに独立しております。今は嘱託として週に数回だけ働きながら、静かな日常を楽しんでいます。
趣味はカメラと散歩です。季節の草花や風景を撮るのが好きで、休日は近くの公園を歩きながら写真を撮っています。最近は家庭菜園も始めてみました。
若い頃は仕事一筋でしたが、今は「誰かと一緒に食事をしたり、映画を観たり」といった、そんなささやかな日常を一緒に楽しめる方と出会えたら嬉しいです。
会話のテンポや感覚が合うことを大切にしています。お互いに無理せず、自然体でいられる関係が理想です。
初めてのマッチングアプリで少し緊張していますが、真剣に向き合いたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
R50Timeを利用したきっかけ
妻を亡くしてからの日々
私は数年前に妻を病気で亡くし、それからは仕事と猫との静かな暮らしを送っていました。
定年後も嘱託で週に数回は会社に顔を出していましたが、それ以外の時間はほとんど一人。
寂しいと思うことはあっても、再婚や恋愛なんて遠い世界の話だと思っていました。
恋愛に消極的だった頃の気持ち
妻が亡くなった当時、私は62歳でした。
長く連れ添った人との別れは、思っていた以上に静かで、でも重たいものでした。
涙を流すというよりは、心のどこかにポッカリと穴が空いたような感覚。
その穴を埋めるために、無意識に「忙しくすること」を選んでいたのだと思います。
朝は早く起きて、簡単な朝食を作り、出勤準備。
週に数回だけになった会社勤めの帰り道には、必ずスーパーに寄って、日持ちする食材を買って帰る。
決まったルーチンをこなしていると、一人の寂しさはあまり感じなくて済みました。
恋愛に対しては、「もう自分には関係ない」と思っていました。
周囲に再婚した人もいたけれど、「ああいうのは社交的な人だからできること」と、どこかで線を引いていました。
それに、自分の年齢を考えると、「今さら誰かに好かれるなんて」と思ってしまっていました。
年齢を重ねるごとに、見た目も変わり、体力も落ちていく。
そんな自分を誰かに見せることに、正直なところ、恥ずかしさすら感じていました。
一人でも生きていける。
そう思い込んでいた部分もありましたし、下手に人と深く関わって、また失うのが怖かったというのもあります。
再婚を考えるようになったきっかけ
ただ、そうやって淡々と日々を過ごしている中で、少しずつ変化が訪れたのは、“ささいな瞬間の積み重ね”でした。
たとえば――
桜が満開だった日に、ひとりで川沿いを歩いていて、ふと「これを誰かと一緒に見られたらな」と思ったこと。
冬の夜、こたつでひとり鍋をつつきながら、「誰かが『熱いね』って笑ってくれたらな」と思ったこと。
自分が撮った写真を見返しているとき、「この景色、きれいだね」と共感してくれる人がいたら、どんなに嬉しいだろうと思ったこと。
そういう日々の「ちょっとした孤独」が、少しずつ心の奥に積もっていって、
「誰かと人生をもう一度分け合ってもいいのかもしれない」と思えるようになっていきました。
ふとした瞬間――たとえば、夕食の時にテレビの向こうから聞こえる笑い声や、季節の花を見つけた時、「これを一緒に感じてくれる人がいたらな」と思うようになったんです。
そんなとき、ネットで目にしたのがR50Timeの広告でした。
「50歳以上限定」「毎晩、談話室で気軽に交流できる」と書いてあって、正直最初は半信半疑。でも登録だけしてみようと、軽い気持ちで始めました。
メッセージをくれたのは、朗らかな女性
数日後、「お花の写真、素敵ですね」とメッセージをくれたのが、真理子さん(仮名・60歳)。
プロフィールには「ベランダで小さなガーデニングを楽しんでいます」とあり、柔らかな笑顔の写真が印象的でした。
最初のやりとりは短いやりとりの繰り返し。でも、彼女の言葉にはどこか温かみがあって、返事を待つ時間がいつしか楽しみになっていました。
趣味も似ていて、彼女はお花が好き、私は写真を撮るのが好き。
そんな共通点もあって、やりとりを重ねるごとに、少しずつ心の距離が縮まっていきました。
初めて会った日 ― 緊張と安堵の午後
真理子さんと初めて会ったのは、4月の終わり、日差しがようやく春らしくなってきた頃の土曜日でした。
朝からそわそわして、何度も時計を見ては、まだ約束の時間には早すぎると苦笑いしていました。
久しぶりに履く革靴を磨き、無難なベージュのジャケットを羽織る。
鏡の前で髪を整えても、正直なところ、年齢はごまかせない。
「もう63歳なんだから」と自分に言い聞かせながらも、どこかで“少しでも好印象に見えたら”という思いが捨てきれなかったのを覚えています。
待ち合わせ場所は、真理子さんの提案で駅前の喫茶店。
派手さはないけれど、静かで落ち着いた雰囲気の、昔ながらの純喫茶でした。
約束の時間の15分前に着いてしまった私は、窓際の席に案内され、メニューもろくに見ずにアイスコーヒーを頼みましたが、緊張から喉が渇いていたはずなのに、一口飲んだだけでそれ以上減りませんでした。
時計の針が12時ちょうどを指したそのとき、店の扉が開き、光の中から現れたのは、淡いグレーのワンピースに身を包んだ女性。
髪は肩にかかるくらいの長さで、ナチュラルなメイク。そして、あのプロフィール写真と変わらぬ、柔らかく品のある笑顔――間違いなく、真理子さんでした。
彼女が私を見つけて軽く手を上げたとき、不思議なほどに胸の緊張がすっと和らぎました。
私は慌てて立ち上がり、「真理子さんですか?」と声をかけると、彼女は小さくうなずきながら「健一さん、はじめまして」と言ってくれました。
その声は、メッセージで見ていた彼女の文字の雰囲気そのままに、穏やかで優しかった。
軽く会釈を交わして、向かい合って座りました。
ぎこちない沈黙が数秒流れた後、彼女が「コーヒー、美味しいって口コミに書いてあったんです」と笑いながら話しをしてくれました。
私はつられて「もう飲み始めちゃってました」と返し、自分でも驚くほど自然に笑っていました。
そこからの時間は、本当にあっという間だった。
最初こそ、お互いに探り探りという感じだったが、話題が“植物”に移ったあたりから空気が一気に和らぎました。
彼女がベランダで育てているミニバラの話。私は最近、近所の公園で撮ったチューリップの写真をスマホで見せました。
「わあ、綺麗…!こういう色、好きなんです」
彼女が心から感動してくれたように言ってくれて、私は嬉しくて何度も画面をスワイプして他の写真も表示していきました。
会話のテンポは決して早くない。でも、それが心地よかった。
この年齢になると、無理して盛り上げたり、相手に合わせようとすることに疲れてしまう。
でも彼女との会話には“間”があって、その“間”さえ安心できました。
喫茶店を出た後、せっかくだからとお誘いし近くの川沿いを散歩しました。
春風がそっと吹いて、道端の花々が揺れていました。
私は、歩きながら自分の過去について少しだけ話しをしました。
妻を病気で亡くしてからのこと。長年一緒にいたけれど、別れはあっけなくて、その後は毎日同じような日々の繰り返しだったこと。
すると彼女は、立ち止まって私を見つめ、こう言いました。
「私も離婚してから、長いこと一人でした。でもね、不思議ですね。こうして話してるだけで、心が少しずつ、やわらかくなっていく気がします」
その言葉に、私はなぜか胸がいっぱいになって、少し視線をそらしてしまいました。
駅までの帰り道、彼女が「今日は会えてよかったです」と言ってくれたとき、私は素直に「僕もです」と返しました。
別れ際、「またよかったら、お会いしてもいいですか?」と少し緊張しながら聞いた私に、彼女は迷いのない表情で「もちろんです」と微笑んでくれました。
家に帰る電車の中、スマホに届いていた彼女からのメッセージにはこう書かれていた。
「今日は本当に楽しい時間でした。帰り道、春風が気持ちよかったですね。またお会いできるのを楽しみにしています。」
私はそれを読みながら、心の中で静かに思いました。
“もう一度、人を好きになるって、こういうことなのかもしれない”と。
二人の時間が、少しずつ「日常」に
初めて真理子さんと会ってからというもの、週に1〜2度、LINEのやりとりが続きました。
最初は短い挨拶や、その日に見たニュースについての感想など、ごく軽いやりとりだったが、日を重ねるごとに内容が少しずつ深くなっていきました。
「今日はスーパーでアスパラが安かったので、春巻きにしてみました」
「天気が良かったからベランダのバラが咲きました。今度、写真送りますね」
そんな何気ないメッセージに、私はいつも心がふっと和らぐのを感じていました。
彼女の言葉には不思議と“気取らなさ”があって、ただの日常の風景なのに、どこか温もりがあった。
2回目に会ったのは、最初の出会いから2週間後。
その日は小さな植物園で待ち合わせた。私はカメラを持っていき、彼女は「ガーデニングの勉強になるかも」とメモ帳を手にしていました。
ゆっくり園内を歩きながら、咲き始めた紫陽花や、名も知らぬ草花に目を留めては、二人で立ち止まる。
「これ、なんて名前なんでしょうね?」
「“コデマリ”っていうんですよ。白い小花が集まって丸くなるんです」
そんなやりとりを重ねるうちに、言葉にしなくても通じ合うような空気が流れていました。
彼女の歩調は私とちょうど合っていて、話すテンポも心地よい。
帰り道、ベンチで一緒に飲んだ缶コーヒーが、妙に美味しく感じられました。
それから数ヶ月、季節が少しずつ移り変わっていくのと同じように、私たちの関係もゆっくりと変化していきました。
月に1回だったお出かけは、2週間に1度に。
そして、いつしか私の家にも彼女が来るようになっていました。
最初は「お昼を一緒にどうですか?」と彼女が声をかけてくれたのがきっかけでした。
「私、サンドイッチくらいなら得意なんです」と、笑いながら持ってきてくれた手作りのランチボックスには、きれいに詰められた卵サンドと、スモークサーモンのサンドイッチが入っていた。
「パンは焼きたての方が好きだから、今日は早起きしました」と照れくさそうに言う彼女の表情が、なんとも愛おしく思えました。
その日から、我が家には“彼女の時間”が少しずつ増えていき、とある週末の昼下がり、二人で録画していたドラマを観たり、彼女が読み終えたエッセイ本を借りて読んだり。
「この作者、いいですね」「こういう静かな話、好きかもしれません」
そんな何気ない会話を交わしながら、時間がゆっくりと流れていきました。
そして、再婚へ ― これからを一緒に歩くということ
真理子さんと出会って、気づけばもう1年が経っていました。
この1年、特別な出来事があったわけではないけれど、振り返ってみれば、静かで優しい時間の積み重ねでした。
たとえば――
疲れて帰った日、彼女が作ってくれた肉じゃがの味が妙に沁みたこと。
風の強い午後、ベランダの鉢植えを一緒に守ったあと、無言で飲んだホットコーヒーが心に残ったこと。
そんな些細な一つ一つが、今の私にとってかけがえのない“記憶”になっていました。
ある晩、夕飯の後にテレビを観ながら、ふとした沈黙の中で、私は口を開きこう切り出しました。
「真理子さん…君といると、気持ちが落ち着く。ありがたいと思ってる」
彼女は少し驚いたようにこちらを見た後、ゆっくり笑って言った。
「私もです。健一さんといると、背伸びしなくていいから。…居心地がいいです」
それから少しだけ間をおいて、私はぽつりとこう言った。
「もし、迷惑じゃなかったら…これからの人生、もう少し一緒に近くで過ごしていけたらと思ってます。……籍を入れることも含めて、考えてみませんか?」
口にした瞬間、自分でも驚くほど落ち着いていた。
以前の私なら、再婚なんて考えることすら避けていたはずだったのに――。
彼女はしばらく黙ってから、小さくうなずいた。
「…私でよければ、よろしくお願いします」
その瞬間、何かがふわっとほどけた気がした。
過去の寂しさや後悔、不安や迷いが、すっと後ろに引いていった。
代わりに胸に残ったのは、穏やかな“これから”へのあたたかい希望でした。
家族への報告、そして新たな始まり
後日、私は息子に真理子さんのことを話しました。
「大切な人ができた。これから一緒に暮らしていこうと思ってる」と。
息子は最初こそ驚いた様子だったが、やがてうなずいて言いました。
「お父さんが笑って話してるの、久しぶりに見たよ。よかった。お母さんも、空の上で喜んでると思う」
その言葉に、私は不覚にも目頭が熱くなったのを覚えています。
年を重ねてから流す涙は、どうしてこんなにも沁みるのだろう。
手続きは落ち着いたペースで進めました。
役所へ行き、籍を入れたその日、二人で静かに外食をして、乾杯はコーヒーと紅茶だったけれど、それで十分でした。
真理子さんは、少し照れたように笑いながらこう言いました。
「“夫婦”って言われると、まだ実感が湧かないですね」
「そうだな。でも、これから湧いてくるさ。ゆっくりでいい」
私たちはそんなふうに、人生の後半に“もう一度、一緒に歩き出すこと”を選んだ。
派手なプロポーズもなければ、盛大な披露宴もない。
だけど、この年齢だからこそできる“穏やかであたたかい結婚”が、ここにはあった。
これからを一緒に生きていく
今、私たちは一緒に暮らしながら、小さな庭の手入れをしたり、近所のスーパーで買い物をしたり、
日々のなかで「ふたりならではの生活」をゆっくりと築いている。
朝はどちらかが先に目を覚まし、台所から味噌汁の匂いが漂ってくる。
夜はテレビを観ながら他愛ない会話をし、眠る前には「おやすみ」と言い合う。
何でもないような日々――
でも、その日々こそが、人生の宝物だと今なら胸を張って言える。
再婚という選択は、若い頃とは違う意味を持っている。
それは、人生の後半を「ひとりではなく、誰かと分け合って生きていく」という約束。
これからの人生、どこまで元気でいられるかわからない。
でも、そんな不安すら包み込んでくれる誰かがそばにいるなら、
残りの時間もきっと、やさしく豊かなものになるだろう――。
そう信じている。
最後に ― 遅咲きの恋でも、温かい
もし、これを読んでいる誰かが「今さら恋愛なんて」と思っているなら、私はこう言いたいです。
遅すぎることなんて、ないんだと。
静かに、でもしっかりと心が動き出す瞬間が、きっとまた訪れるんだと。
私にとってR50Timeは、ただのマッチングアプリではありません。
新しい季節の風を運んでくれた、大切な「きっかけ」でした。